2014年3月16日日曜日

集団的自衛権は、必要。但し、「決定のプロセス」と「実施の基準」が明確でないと危ない。

憲法解釈上認められないとされていた集団的自衛権の行使を、「憲法解釈を変えて認めよう」と安倍総理が声高に叫び始めた。アメリカ、中国、ロシアが決定的主導権を有しない政界では、地域の国々が協力体制を作る。経済と安全保障が表裏一体である以上、集団的自衛権は否定できない。

戦後日本政府が一貫してとってきた解釈を変えて、憲法の内容をこれまでと正反対のものにしようとしているが、それによって本当は何が起きるのかが国民にはよく理解できない。そこには、巧妙な政府の戦略がある。これから、少し説明しよう。

政府がおかしなことをやろうとする時は、まず、全体像を隠すのが常道。大目的を達成するために必要な一連の政策をバラバラに提案すると、国民の「想像力」を限定し、批判を矮小な問題に閉じ込めることができる。既に集団的自衛権行使を解釈で容認する布石はできていた。

最初に出て来たのが日本版NSC設置法。民主、維新、みんななどの野党が賛成した。議事録作成の議論はっきり結論が出なかった。議事録を作らないと言う事は、何を決定しても証拠がのこらない。この時点では、野党も問題追求し切れなかった、と言うより、問題の核心を理解できなかった。

次に特定秘密保護法の議論でも、知る権利、報道の自由などの議論は盛り上がったが、NSC法や集団的自衛権との関係はほとんど議論されなかった。しかし、NSCで決めた事は、公表しなくて良いと言う決まりが出来てしまった。

実際に、集団的自衛権の行使容認とNSC法、特定秘密保護法には、共通目的がある。そして、実際の安全保障政策の決定現場において、複合的にその力を発揮し、驚異的な効果を呼ぶ「3点セット」となる。

例えば、「イランが米国に先制攻撃をしようとした」と称して、イラク戦争の様に、米国がイランを先制攻撃する。「これは自衛戦争だから日本も参戦して欲しい」とオバマ大統領が安倍総理に依頼する。直ちに、NSCが開催される。NSCはたった4人の大臣だけで決められる。あくまで閣議ではない。

戦争の初期に米国から提供される情報には「化学兵器が大量に使用される可能性がある」というガセネタが使われる事が多いが、米国からの情報は特定秘密になって、外部はおろか内部の検証も十分にできない。

大臣が1人反対しても議事録は作成されないから無視すれば、絶対に分らない。。反対する大臣が他の大臣に働きかけて共同記者会見を行うと、特定秘密保護法で秘密漏洩の共謀・教唆犯になる。こうして、安倍総理は参戦を決めることができる。

つまり、この3点セットは、無用な戦争に巻き込まれるという「誤った判断」を助長するための制度になる可能性がある。どの様な状況下で、集団的自衛権を行使できるかを明確化する必要があるのは、これが理由。

上記の場合、イランは日本を攻撃していない。日本人に好感を持つイラン人も多い。そのイラン人を自衛隊が殺害する。戦争だから、民間人、母子が巻き込まれる。もちろん、何百、何千という自衛隊員も殺される。

自衛隊員も、日本人誰かの家族であり友人。中東の国を攻撃したことにより、米国のように、いつテロに遭うのかと怯えて暮らさなければならない。日本の強大なソフトパワーの基盤となっていた平和国家のイメージも根底から覆る。その覚悟が日本人の一人ひとりにあるか。

私が決めますと安倍総理は言い、閣議決定の前に国会で議論しろと野党が言う。だが、これほど重大な決定を内閣や国会に任せるなど論外。憲法改正手続きで、最後は国民投票で決めるべき問題。だから、憲法改正の方が、実は安全なのだ。

今後、武器輸出、国防軍、徴兵制という3点セットが待っている。何故かと言うと、徴兵しないと、交戦できる兵力を確保できない。国連決議は、根拠になるか? ならない。 ソマリアの様に、常任理事国であるソ連が拒否権を発動すれば、機能しない。

何時、集団的自衛権をどの様な範囲で実行できるかが明確化されなければ、賛成してはいけない。